one small step

山に登りながらその風景を撮り、これから登山を始める人のささやかな道標となれば良いかなと思い書いています。その他普段考えてる事なども書きます。

言葉の力

小説の中で心に留まった言葉があると、そのページの端を折って

何かの折に読み返すことがよくある。

その時に響いた言葉が後になって違う解釈が出来たり、

逆にどうしてこれが響いたんだろうと首を傾げることもある。

そしてさらに時間が経つと、またそこが味わい深く感じたり。

もたらされる感情は波の様に寄せては返す。

 

音楽でも歌詞は必ず調べて、聴きながら言葉を幾度もなぞるのが好きだ。

洋楽などは和訳と原文を見比べて聴く。

歌い手が何を言いたいのかを自分なりに理解していく過程は、

曲作りのシーンにこっそり同席している様な気持ちがする。

 

母親が読書家であった為、狭い家に不釣り合いな本棚には

常に本がみちみちに詰め込まれていて、読めない漢字でいっぱいの本を

子供の時からペラペラ捲っていた記憶がある。

自分を形作っている部分の多くはこの頃の母親の本棚である。

 

琴線に触れる本は決まって、表現方法が独特な作家だった。

「綺麗な風景」と簡単に表せる場面に何行も割いて緻密に、

半ば執念とも取れるような長い説明で表す。

それが好きだから、自分の文体もくどいのだと思う。

 

言葉を紡いでいく作業はきっと、自分の内面から色々なものを

絞り出していく苦しい作業だと思う。

そして、読み手にいかにして自分の意図を伝えるかだけではなく、

よりその情景を鮮やかに想起させる必要があるので、

たくさんの美しい言葉を知っておかなければいけない。

山の風景を伝えるにしても、「綺麗」という状況を

十も二十も違う言葉で表せないとダメなのだ。

 

日本語には美しい言葉がたくさんあって、出来るなら自分は

頼まれてもいないがそういう言葉を死語にせず、

たくさんの人に知ってほしいと思う。

 

絶望の淵でさめざめ泣いている自分に、

救いの手を差し伸べてくれた言葉が小説の中にはいくつもあって、

言葉の力を身を以て感じたこの経験は、

多くの人と共有したい得がたいものなのである。