慕情
手放しで誰かを好きになれたらどんなに良いだろう。
そんな風に思うことが昔はよくあった。
その人をただただ好きで、見るだけで日なたのバターの様に、
溶けてしまうほど想い焦がれるという状態は、果たして自分には
今の所訪れてはいない。
同じように一目惚れの経験も記憶にない。
何となく一目惚れに対しては、
一気に燃え上がった性欲がそう錯覚させるだけではないか
という邪推があり、もしかしたら自分にもその感情はあっても
見ないふりをしていたのかもしれない。
自分の恋愛の姿勢は、段々と相手を知り好きになっていくパターンのみだ。
よく自分を大切にしないと他人も大切に出来ないと言われるが、
自分はそれとは少し違って、何より自分自身が傷つくことが怖いからだ。
だから愛を剥き出しにして相手にぶつけて行ける人が純粋に
雄々しく眩しく見える。
例えば届く見込みのない恋慕を胸の内に抱え続けて生きていくことと、
思い切って相手に気持ちを告げて拒絶されることと、
どちらが苦しいだろう、とさらに考えてみる。
きっと同じ苦しみでも、告げる方がきっと傷の治りは早いだろうと思う。
恋をして相手の事を知りたいと思った時に、そこには甘さよりも
苦さや切なさの方が多いと思うのは自分だけだろうか。
今は色々なことにショートカットが用意されていて、
旅でも調べ物でも日々の食事でも過程をすっ飛ばして、
あっという間に目的を達成出来てしまう。
だからこそ、山も恋も苦しい道程が、その遠回りこそが
醍醐味なのではないかと思う。
そういった避けては通れない苦しみから距離をとった結果、
若い時に経験しておくべき事を経ずに歳だけとってしまった。
今頃になって大切なものを失ったことに気づいて狼狽している。
もしこれを読んでいる人が誰かに恋をしているならば、
是非勇気を出してその想いを伝えてほしいと思う。