one small step

山に登りながらその風景を撮り、これから登山を始める人のささやかな道標となれば良いかなと思い書いています。その他普段考えてる事なども書きます。

おひとりさまと自己肯定

既に書いたブログを読めば簡単に分かるように

自分はひとりが大好きである。

行きたい山にも街にも行きたくなったら

タイミングを作りひとりでスイっと赴く。

そもそも旅や山行計画の段階で、

誰かと行くような想定をあまりしていない。

もちろんパートナーと行く旅は

その為の計画をしっかり立てるが、

かなりギチギチに組むので、

相手が強いこだわりがある場合だと

上手くいかない計画だったりする。

その点でも、今のパートナーは

とてもありがたい存在である。

 

ハフィントンポストのコーナー記事に

「だからひとりが好き」というものがある。

ひとりでいる事について

様々な人が記事を寄稿していてとても面白い。

世界、特に日本の社会では

ひとりでいることが未だに奇異に映るようで、

ひとりでいる事とはどんなメリットがあるのか、

どうして人はひとりでいる人間に

ネガティブな印象を持つのかがよく書かれている。

思うに、ひとりでいる事を理解出来ない人は、

自分で考えることが

得意ではない人たちなのではないかと、

感じることが多い。

集団の中にいて、誰かの決定に従う方が楽だし、

責任を負う必要もあまりない。

しかしひとりでいるとそれは全て

自分に返ってくるので向き合わざるを得ない。

そういうことを実地で行なっている人々に対し、

理解し難い恐怖があり、

ひとりの人を珍しく見るのかもしれない。

 

自分がひとりが好きなのは、

圧倒的自由がその理由だと思っている。

責任もトラブルも対処する必要が

もちろんあるものの

それを補って余りある自由がそこにはあり、

何より得難いものである。

あとは恐らく協調性が欠落しているのも

要因である気がしているが。

 

詳しいことは機会があればまた書こうと思うが、

いわゆる機能不全家族で育った自分は

健全な自我と自己肯定感を養えず

大人になってしまった。

自分には価値があると思えない人生は

街灯の無い路を歩くようなもので

常に周りに注意を払い、たまたま居合わせた人の

本当か嘘かわからない道案内に

右往左往してしまう。

それで間違った路に進み、

振り仰いでまた自分を責める事の繰り返し。

とうとう行き止まりまで来た時に、

自己肯定について深く知る機会があった。

良いところも悪いところも含めて

ありのまま自分を受け容れること。

ダメなところにフォーカスするのではなく、

そういうところも自分の人生を形作る

大切なファクターであること。

その知見を得て、長年背負い続けていた荷物を

一つずつ下ろすことが出来た。

 

自己肯定を理解し始めた頃から、

ひとりでいることが自分には最も楽で

幸せに居られることなのだと知った。

恋愛はまた別で、愛する人と時間を紡ぐ体験は

もう一つの喜びである事は間違いない。

しかしそれと共にひとりの時間を持つ事は、

人の意見に振り回されやすい自分にとって

絶対に必要なことなのだと。

 

自分の力だけで正に命を担ぎ上げるが如く

山の頂に立つ時、

知らない街に行き知らない景色を見る時、

一つ一つ成功体験が心を満たしていく。

それがまた自己肯定につながっていく。

仮に上手くいかなくても、挑戦をする姿勢こそが

暗い路に灯を点していくように思うのだ。

 

ひとりでいると口をつぐむ。

深遠な思考を巡らせることができる。

生まれる時も死ぬときも結局独りである人間は

たったひとりでいる時にこそ、

本当の自分が現れるのではないだろうか。