山で読む本
登る山が街から離れれば離れるほど、距離に比例して携帯の電波は弱くなる。
当然の事だが、今や電波が届かない場所など逆に山の上くらいしか無いように思う。
それでも大手通信メーカーを利用している自分は、
奥穂高岳で電波が届いていたことに心底驚いた。
仕事のメールも受信出来てしまうので、山頂まであと僅かの所で
業務確認のメールに返信したりして、最早日本では世捨て人になるのは難しく感じる。
しかし岳人の聖地と呼ばれる涸沢は、幕営場ではほとんど電波がない。
だからひたすら自然が作り出した美しいカールを眺めていれば良いのだが、
現代病ゆえ飽きて来て手持ち無沙汰になるのも事実。
そんな時、普段積ん読状態の本の一冊を持ち出し、テントの中で
あるいは外にマットを出して景色を時々見やりながら一気に本を読む。
挽きたてのコーヒーを飲みながら読む本は正に味わい深いものとなる。
山が舞台の本はいくつかあるが、人生をアラインゲンガー(単独行者)として
山に捧げた加藤文太郎の生涯を書いた「孤高の人」は感動が深かった。
独りでいる方が心地好いという感情は強い共感を生んだ。
もし、山が舞台の本でベストを選ぶとしたら湊かなえの「山女日記」を挙げる。
「山岳小説と呼べない山の小説」とでも言おうか。
様々な事情を抱え、山に登る女性をオムニバスで描いている。
山の紹介自体はあるのだが、どちらかというと各話の主人公の内面に
スポットがあたっていて、途中から山が脇役になっていることに気付く。
そして短篇だと思っていた話が少しずつ他の話と交錯しているのも面白い。
ネタバレになるので詳細を書けないのがもどかしいのだが、
是非この本の第7話「トンガリロ」を読んで頂きたい。
6話まで読んだら一気にこの話も読み進めると思うのだが、
最後のカタルシスとペーソスがじんわりと胸に染みて、格別の感動がある。
そして出来れば山にこの本を携えて行って欲しいと、山好きの自分は思う。
文明が滅びた地球に似た星の人々は、失った文明の代わりに超能力を得た。
主人公のラゴスはある目的を持って世界を旅しながら様々な知見を得る。
不思議な人や現象にほとんど説明がないので返ってリアリティがあり、
「旅をすること」は「生きること」と同義なのだなと感じさせてくれる。
山で読むと自分もラゴスになったような心持ちになり、
高揚感と自負心が湧いてくる。
元々読書が好きで一冊一冊感動も思い入れもあるのだが、
非日常で読む本はやはり記憶に深く刻まれるものである。
次の山行にはどの本を持って行こうか。